3月17日

今日は午後から部活に行ってきた。バテバテで恥ずかしかった。こんなにも衰えるものかと。体力がまずない。でも楽しかった。やはりあの集団、あの空間には色んなことを忘れさせる力がある。また行こう。

その後は中学の友達とお好み焼きを食べた。ゲームと並行しながらだったのでけっこう長い間一緒にいた。久々にあこまで声をあげて笑ったな(笑)あの集まりは、大人になっても、年老いても続けていきたい。なかなかあれほど心を許せる友人はいないと思う。出会いに感謝。。

3月16日

今日はダメ恋をネットで全話みた。話題にもなっていたし、期待通りのいい話だった。ハッピーエンドで終わるのはやっぱり気持ちいい。結婚はまだ遠いことのように思えて、早くて数年後にはやって来るのかと思うとより物語に入り込んでしまった。たまに彼女と結婚した後のことを考えたりする。幸せだろうな。きっと明るい家庭になるんだろうな。実現するように、もっとちゃんとした大人になりたい。周りの人が誇れるくらいに立派な大人になりたい。大変だろうが、頑張ろう

3月15日

今日は車を買った友達の運転でショッピングモールに行く予定だった。しかし、こんな時期にぶらぶらと出歩くものではないと家族に叱責され、しぶしぶ誘いを断った。何も言い返せないこの身の上が悔しかった。妥当だな、と思ってしまった自分が情けなかった。友人にも悪いことをしたなと感じた。結局1日中ソファの上でYouTubeと睡眠を繰り返して終わった。外出しても変わらんやないか、と思った。こんな予定も充実感もない生活はあと1週間続く。本でも読むか。明日から。友人オススメの本は、借りたはいいが、今の精神状態で読みきる自信がない。結局読み始めるんだろうけど。何か一つで良いから毎日得るものを得て1日を終えたいなと思う。今日はそういう意味では最悪の1日だったと思う。いや、YouTubeでひとつだけ得たことあった。桑田真澄投手がトミージョン手術のリハビリ期間の過ごし方について話していた番組。リハビリは1年以上かかり、やはり苦しいものなのだという。その番組でおっしゃっていた言葉は、昔の自分とこれからの自分を切り離すこと。その1年間を充電期間だと思うこと。そして、そのリハビリをしている段階で、残されている人生の方が長いということ。そして、死ぬときに人生の勝利投手になれればそれでいい、ということ。感動した。心に響いた。僕なんかまだ一回の表。立ち上がりだ。立ち上がりに失点したからといって必ず負け投手になるとは限らない。むしろ、投手は点を取られるのが当たり前。失敗は当たり前ということだ。悩んでいる自分が一気に弱く思えた。自分は強い気持ちを持っているとずっと思ってきたが、馬鹿だったなと感じた。今の自分、そしてこれからの自分に必要なのはこういった割り切るということなのかもしれない。いい意味での割り切り。言葉を変えればプラス思考とも言うのかな。出来ていたようで出来ていなかったとてもシンプルで難しいこと。友人の本がもしかしたら人生のバイブル的存在になるのではと思えてきた。読んでみよう。

3月14日

今日は午後から病院に行ってきた。中1の冬からずっと続いてる腰の定期検診。一昨年くらいからは毎回変化なしだけど(笑)先生は陽気な方で、真面目な話とは別に、雑談なんかもよくしてくれる。なんでも、知人の叔父さんらしく、最近はその子の話が多い(笑)よっぽど可愛がっているんだなと思う。僕にとっても親戚のおっちゃんみたいなスタンスで話してくれるからとても助かる。前期がだめだったこと、後期も微妙だということ、不安であるということを話すと、ちゃんと聞いてくれた。何度も祈ってくれたし、浪人もそれはそれでアリだ、と、ポジティブに話してくれた。後期に受かっていたら、報告しに行きたいな。先生も金大出身らしく、あの大学は素晴らしいと言っていた。ますます受かりたくなった。と同時に、ここまでお世話になった病院にいると、医療にも携わりたいという願望も少し芽生えた。またいつものちょっとした出来心かもしれないが。結果が出るまでの期間は暇だから、将来について考えるのも悪くないと感じた。なんとも微妙な終わりになってしまった。。

3月13日

今日はバスケ部の送別会だった。なんやかんや楽しいな、あの集団は(笑)昼ごはんを抜いて行ったのに全然食べれなくて危機感を感じた。その後、ゆららに行った。かれこれ五年以上はいってなかったから懐かしかった。露天風呂で斎藤佑樹とマー君の甲子園の投げ合い見ていた記憶がある。たしか1試合目で、すごい試合だった。お椀の風呂がなくなってたのは残念だったけど、すごい気持ち良くてリフレッシュできたと思う。少しの間だったが、いい時間だった。その後はみんなでお泊まり。ハメは外さないように注意した(笑)大富豪が思った以上に楽しくて、またあの面子でやりたくなった。明け方のカミングアウトも楽しかった。想像はしてたけど(笑)微笑ましい話が聞けてよかった。また集まれたら良いな。

3月12日

後期試験が終わった。微妙。ほんとなら今日はもっと気持ち良くこの記事を書く予定だった。不安だ。他の人はどうだったのか。まあ今更悩んでも仕方ないけど。受かりたい。早く楽になりたいと言うのが半分。周りに心配をかけたくないというのが半分。自分の夢はどこだろう?こないだ誰かに夢は入ってから考えると言った。高校の入学前と変わってないなと思った。分野が絞れただけ。振り返ってみれば高校でも夢については深く考えなかった。考えようともしなかった。興味本位にばかり振り回されていた気がする。そう思うとやはり限られた中から選択していく方が自分にはあっているのかなとも思う。発表は22日。10日間は自由だが心から楽しめる自信がない。若いうちは悩むのが良いと大人は言うがいざ悩むとなると辛いものだ。正しいと思う選択肢とやりたいと思う選択肢。この二つは一生ついてくる不自由な2択なのかもしれない。後悔しない方を選べと言われても、結局後悔するというのが定式化されている。ならば後悔はするが妥協できる選択肢くらいの方が良い。というより自分に合っている。今は選択権は自分にはないが、どうか選択肢が存在する結果になって欲しい。とりあえずお疲れさまでした。後期受けたみんなが受かりますように。3日ほどしか意識し合うことはなかったと思うけど、確実に勇気付けられた。感謝しています。みんなで受かりたい。I wish our happiness .

3月11日

5年前、世界を揺るがした東日本大震災そして福島の原発事故。あの時自分はまだ中1で、のほほんと生きていた。地震があったと分かったのはたしか卒業生を送る会の後、騒がしい教室のテレビでだった。中継される津波の様子、鳴り止まない大津波警報。入ってくる情報全てが非現実的で、半ば冗談かのようにさえ感じていた。家に帰ってテレビをつけると震災の規模の大きさに改めて気付き、ただ立ちつくすしかなかった。夜になると、津波で亡くなった方の死体が次々と発見され、絶えず増え続ける死者の数に、恐怖とともに現実なのだと実感し始めた。数日後には原発の事故が相次いで起こり、被害レベルは世界に目を向けても史上最悪レベルであると報道されていた。目に見える恐怖と目に見えない恐怖とが同時にやってくる。被災者の人のことを思うとやるせなくなった。経済力も行動力も影響力もない自分に何ができる?いや、何もできない。ただただ現実に向き合い、祈ることしかできなかった。あれから五年。復興は少なくとも自分が思っていたほど進んでいない。政府だけでなく、世間の注意も、だんだん被災地から離れていっているように思える。自分も今思えばそうだ。〜ヶ月と報道されたときばかり思い出し、またすぐに忘れる。恥ずかしい。時間というのは残酷だ。今日、すっかり密度の減った教室で勉強していると、自分は勉強でいいのかとふと思った。これでいい。今はこれしかできない。むしろ、今は勉強するしかない。できることを精一杯やるべきだと思った。明日は試験。先日も書いたが、受けられることに感謝しなければならない。5年前、あの時、後期試験に向けて必死に努力した人は何人亡くなったのだろうか。何人の夢が散ったのだろうか。そう思うと、今自分はこの環境に感謝して頑張るしかないと思った。感傷的になりすぎると、自分で何をいっているのかわからなくなる癖はどうやら5年前のままのようだ。とりあえず試験頑張ろうと思う。自分のため、家族のため、応援してくださる人々のため、そして、夢散った5年前の先輩たちのためにも。